いつ死んでもいいように生きる
- 土方 奈々絵

- 7月13日
- 読了時間: 3分

Facebookには、 過去に投降した記事を
「〇年前の思い出」と
表示してくれる機能があります。
この時期によく表示されるのが、
1学年後輩のKちゃんとの写真です。
ある年、
学生時代に所属していた合唱団の
現役・OBOGの合同ステージに参加し、
数十年ぶりにKちゃんと再会しました。
少しはにかんだような笑顔で、
おとなしい印象のKちゃんですが、
お酒が大好きで、
飲みながらいろんな旅の話をしてくれました。
とても楽しい時間を過ごせた再会でした。
数年後、
再び合同ステージが企画され、
仲間との再会を楽しみにしていた矢先、
飛び込んだKちゃんの訃報に目を疑いました。
彼女は不意の病に倒れ、
治療の甲斐なく旅立ったとのこと。
思いがけない急な別れに言葉をなくしました。
まだ50歳過ぎ、
早過ぎる旅立ちという感は拭えませんでした。
トマス・レナードも早世でした。
2003年に心筋梗塞で亡くなったとき、
トマスは47歳。
まだまだこれから、という年齢ではないかと思います。
他にも、前触れもなく、
突然あの世に旅立った友人や仲間が何人もいます。
彼らを思い出す度に
共に過ごした時間が私に与えてくれたものを思い起こし、
感謝の念を抱かずにはいられません。
先に旅立った彼らから教わったことの1つは、
「いつ死んでもいいように生きる」ということです。
「いつかやろう」と後回しにしたり、
「今はまだ」と我慢するのではなく、
素早く自分の道に乗って、
やりたいことに着手していくことです。
もし、
道半ばで旅立つようなことがあったとしても
「ここまでは進んだ」と
自分に満足できるように生きることが、
自分にとって幸せな、
充実した人生を送ることにつながるのではと思います。
そして、
私たちは必ずしも人生で
何かを成し遂げないといけないわけではありません。
先に旅立った仲間と
豊かな時間を分かち合えたことを思い起こせば、
彼らは何かを成し遂げたからではなく、
その存在、「あり方」で
私たちに影響を及ぼしていたことが分かります。
誰もが、その人の存在そのもので
周りの人に影響を与えています。
それだけで十分、
その人が生きた証になるのではないでしょうか?
コロナ禍に寿命を全うされた
合唱の恩師がよく口にしていた
「一期一会」という言葉も
私に大事なことを思い出させてくれます。
合唱は、
たとえ同じメンバーで同じ曲を歌ったとしても
その時その時の演奏があり、
決して同じ演奏にはならない、ということを
先生はよくおっしゃっていました。
その時その時を大事に生きていくこと。
それができていれば、
私はいつか突然この世を旅立つ日が来ても
「幸せな人生を送れた」とみなさんに感謝して
快く旅立つことができるのではと思っています。
Kちゃんの写真を見る度に
自分が人生を生きる上でどんな基準を持っているのかを
改めて思い起こします。
あなただったら
どのようなあり方で
人生を生きていきますか?
それではまた!




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