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「個を活かす」前に




先日、映画「窓ぎわのトットちゃん」を観てきました。


私が小学生の頃に原作がベストセラーになりました。

黒柳徹子さんの子ども時代の素敵なエピソードが沢山詰まった、

大好きな本の1つです。


だから、黒柳徹子さんが製作にOKを出したというこの映画を

観るのをとても楽しみにしていました。



映画を観ながら、本で読んだ数々のエピソードが思い出され、

思いがけない発見や感覚を沢山味わうことができて

観に行ってよかったな、と思いました。


例えば、物語の舞台(東京・自由が丘や東急大井町線)は

実は、今私が暮らしている地域にとても近いところで、

「あれはあそこだ!」と見慣れた風景がいくつも出てきたり、

コンサートマスターのお父さん絡みで音楽活動のシーンがあったりと

個人的に親近感を感じられるシーンが沢山あって、とっても嬉しくなりました。


その一方、物語は第二次世界大戦前から始まり、

開戦から段々と暮らしが酷くなっていく様子が明らかで、

戦争の恐ろしさや馬鹿らしさをしみじみと突きつけられたようにも感じました。


 

一番心を打ったのは、トモエ学園の教育方針と

その中で生き生きと学園生活を送る子どもたちの様子です。


普通の小学校で問題児扱いされたトットちゃんが

トモエ学園では怒られることもなく、注意されることもなく、 楽しそうに学び続ける姿はとても愛らしく、魅力的でした。



おそらく、トモエ学園の小林校長先生は 「誰もが劣等感を感じない状況を徹底的に作る」ことに

心を尽くしていたのだと思います。


身体の小さな高橋くんも、手足に麻痺がある泰明ちゃんも

できないことは無理にやらせないけれど、特別扱いされるわけでなく、

できる限りみんなで一緒に活動できるような場や機会を作っていました。

誰もが「損なわれない」環境を育てていることに、とても感嘆しました。


「個を活かす」「個を伸ばす」ことを実現するためには、

「個を殺さない」「個性を潰さない」ことが先なのだと気づきました。

それがあって初めて、1人1人の「個」が育つのだと思います。


「君は本当はいい子なんだよ」


小林先生の何気ないひとことに、とても深い意味を感じました。


 

私も昭和という時代に育ってきましたが

大人になるために、人と上手くやっていくためには

「個を殺しなさい」と教わったように思います。


もちろん、そう直接言われたわけではありません。

ですが、自分の個性を「蔑ろ」にして、

周りに合わせることを求められてきたように感じます。


しかし、「個性」というのは自分自身です。

個性を蔑ろにすれば、個性は育たないし、存在が難しくなります。

自分自身が蔑ろにされ、存在が脅かされるなら、

人は自分に自信が持てず、本当の意味で自立し、

自分の足で立って歩くことはできません。


平成を経て令和の時代はもはやそうではない…と思いたいですが

自分に自信がない若者たちが一定数いることを考えると、

根本のところは実は変わっていないのかもしれない、とも思います。



社会化とは個を殺すことではなく、個を活かした社会を作ること。

一人一人が自分の個を殺さずにいることと、

社会のあり方という環境を変えていくことの両方を進めることで 本当の意味でのダイバーシティ(多様性)やインクルージョン(包括/受容)が

実現できるのかもしれません。



あなたは自分で自分の「個性」を潰していませんか?



社会環境を変えるにはまだ時間が必要かもしれませんが、

まずは自分ができることに取り組んでみたいと思います。



それではまた!


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