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〈心の奥底にある「わだかまり」を取り除いていますか?〉

執筆者の写真: 土方 奈々絵土方 奈々絵


この記事は、

過去のニュースレターのアーカイブとして公開しているものです。

原則として、配信当時のそのままを載せています。


 


こんにちは!

アトラクションコーチの土方奈々絵です。



先日、勉強会でアトラクション・プリンシプルの

「#18. 自分自身を敏感にする / Sensitize Yourself.」を扱いましたが、

先月参加した「集中内観」とリンクすることがありましたので、

少し長文となりますが、私の体験と、今現在感じていることをお伝えしようと思います。

 

 

トマスはコーチングだけではなく "セラピー[therapy 治療]" についてもよく言及します。

『必要であればコーチ、またはセラピストや治癒[healing]の専門家と共に取り組みなさい』 (「#13. パーソナルニーズを決定的に満たしなさい」No.6, The Portable Coach)

といった文言も出てきます。

「自分自身を敏感にする」という原理原則に関しては、

『子ども時代の心の傷跡が私たちが本来持っている「感じる能力」を妨げることがあるので 必要であればセラピストに助けを求めなさい』 (「ステップ18.自分自身を敏感にしなさい」No.6, The Portable Coach)

と述べています。

カウンセリングや心理療法も活用するよう勧めているのです。

 

私が参加した「集中内観(内観法)」は、心理療法に応用されています。

身近な人間関係、特に母親との関係について集中的にこれまでの体験を振り返る中で、

思い込みや見えていなかった視点に気づくと「癒やし」のプロセスや価値観の転換が起こり、

副次的にカウンセリングや心理療法と同様の効果が得られることが多々起こります。

私自身とてもよい経験をしたので、シェアしたいと思います。

 

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私は父親には非常に可愛がられたという自負がありますが、

母親は非常に厳しい人で、怒られたり、許可されなかったりした経験ばかりを記憶しています。

コーチングや自己啓発的なワークなどを通じて母を一人の人間として見れるようになり、

母が私に厳しく接したのはきちんとした人間に育てようと思ってのことだと理解できるようになりました。

若いときは反発したこともありましたが、今では関係性も遙かに良くなり、

老年の母のケアをする機会も増えました。

それでも、母親に対して「何か」あるのだろうとうすうす感じていました。

 

集中内観では、一週間の中で3回ほど自分と母親との関わりを振り返りました。

子どものころから現在までを3-5年区切りで

  • お世話になったこと/してもらったこと

  • それに対して自分がして返したこと

  • 迷惑を掛けたこと

の3つの視点でひたすら経験を思い起こし、1時間おきに訪ねてくる面接官に報告します。

昔のことなので結構忘れてしまっていて、最初はなかなか思い出せないのですが、

繰り返し取り組むうちに細かいことを思い出せるようになっていきます。 

 

1回目に取り組んだときは、母親の厳しい態度を沢山思い出しました。

幼稚園の時だったか、洗髪時に顔を濡らすのがとても怖くて嫌だったのに、

無理矢理頭からお湯を掛けられて、泡が残っているまま風呂を飛び出し

「お母さんなんて大嫌い!!!」と大泣きしながら叫んでいました。

お友達の家に遊びに行く時に、私一人めかし込んだ格好をさせられたことが嫌で、

私もみんなと同じような服を着たいと言ったら「他所は他所、うちはうち」と怒られました。

心が痛い思い出ばかりですが、「厳しい人だったなぁ」と冷静に受け止めることはできていました。

 

2回目に取り組んだとき、「嫌い」と思いながらも、

2人だけで東京まで映画を見に行ったり、食事をして帰ってきたり、

お出かけの記憶は楽しくて、本当は母のことが大好きだったのだと気づきました。

洋服は手作りのもの、もしくはデパートで買ってくれたもの。

母は母なりに私のことを大事にしてくれていたのだと実感しました。

母が自分に対して色々してくれたことを「頭では」ありがたいなぁと思えるようになりました。

 

20代後半に鬱一歩手前になり、心療内科に駆け込んだことがあります。

まだ今ほどメンタルケアの重要性が浸透しておらず、勤務先も私の扱いに困っていたと思います。

実家から通勤しているにもかかわらず仕事を休みがちで、

上司から「(休みがちなことを)親は何も言わないのか?」と訊かれたことがありました。

私としては親に心配を掛けたくなかったので自分からは何も話さずにいましたが、

もしかして普通は、心配なら親の方から訊いてくるものなのか、と思いました。

事実、出勤の時間になっても私が布団の中にいるので、母が声を掛けには来るのですが、

「今日は会社休む」というと「ああそう」と言って去って行くだけ。

せいぜい「ちゃんと会社に連絡しなさいよ」と言うくらい。

それが数日続いても、普通だったら何か言いそうなのに、何か言われた記憶がありません。

それで「一番苦しい時に親に放っておかれた」という想いがあるのを思い起こしました。

面接官の先生に「何もしてくれなくても、そばにいてもらえただけでありがたくないですか?」

と問われたときに、正直そこまで思えない自分がいました。

 

3回目では、面接官の先生の問いを念頭に改めて振り返ってみました。

布団の中でグズグズと時間を過ごし、鬱々としていた私に

「お茶入れたけど飲む?」「お昼できたよ」

と声を掛けてくれた母の顔、姿が蘇ってきました。

きっと、何ができるか分からない中で、母なりにできることをしてくれたんだな、と思い至りました。

それが「そばにいてくれた」ということなんだ、と腑に落ちたとき、

「頭で」はなく「心から」感謝する気持ちが湧いてきました。

「癒やし」のプロセスを体感した瞬間でした。

 

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さて、集中内観を終えて1ヶ月ほど経ちますが、

一番変わったのは、素直に「大好き」「ありがとう」という心持ちで

母と接することができるようになったことです。

まさに「根雪が溶けるように」私の中にあったわだかまりが溶け、

すっきりとした心持ちでいる自分を感じます。

 

また、両親それぞれの老いに対してケアが始まっていますが

これまではどうしても父親の方に目が向いてしまい、母親が後回しになっていました。

今は、いろいろと我慢してしまう母の方がむしろ心配です。

  

今の状態になって始めて

これまでは母に意識を向けるとわだかまりの根雪がチリチリと痛むので

それがブロックになり、母に対して鈍感になっていたのだと分かりました。

わだかまりが取れたことで心理的ブロックもなくなり、

以前よりも母の言葉や所作に敏感になってきたようにも思います。

 

そして、実は「わたしって(人に対して)冷たくない?」と思うこともあったのですが

自分の中にある母親に対する愛情を再認識できたことで、

「他者に対して温かい気持ちを抱ける自分がいる」ことに自信を持てているのも感じます。

 

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思い込みや見えていなかった視点に気づくという点では、

コーチングもカウンセリングも同様の機会を提供します。

しかし、その思い込みや固定概念の要因、つまり扱う領域において決定的な違いがあります。

 

トマスは

 幼少期の心の傷・トラウマ → セラピーや心理療法

 遺伝子やミーム(下記注)に起因するもの → コーチング

と考えていたように見受けられます。 (「#13. パーソナルニーズを決定的に満たしなさい」No.6, The Portable Coach)


(注)広い意味で、遺伝子もミームも「人から人へと情報を伝播する」ものです。遺伝子は生物/動物としての側面、つまり生物の本能/身体/感情面において、ミームはアイデアや概念など、慣習/文化などの理性面において、「自分の意思と関係なく、いつの間にか自分の中に伝播されたもの」と捉えるとわかりやすいかと思います。例えば、人間は社会性の動物ですので、「群れ」から外れることは死活問題です。そのため、集団に所属し、そこでの立ち位置を確保しようとする行動は本能的な側面があります。また、ある文化で当然とされている考え方や思考パターンは、そこに属する人によって伝播されたものです。子どもが単純に親自身の思考パターンを受け継ぐことも、家族という集団の中でのミームに含まれます。


今回の経験でこの違いが体感でき、腑に落ちたことも大きな収穫でした。

 

以上が私の体験と、そこから感じたこと、気づいたことです。

私の中でつながることが沢山ありすぎて、長文になり恐縮です。

あなたにとって何かしら「感じる」ものがあれば幸いです。

 

 

 

それではまた!

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