この記事は、
過去のニュースレターのアーカイブとして公開しているものです。
原則として、配信当時のそのままを載せています。
こんにちは!
アトラクションコーチの土方奈々絵です。
ある日、朝ごはんの片付けで、洗い物を食洗機にセットし、スイッチを入れました。
しばらくして、夫が「鍋が残ってるよ」と鍋を手に取って私に見せました。
入れ忘れたようなのですが、私としては「ええっ!」とびっくり。
というのも、いつもは洗う鍋が3つあるのに、
「今日は2つしかない」と思った記憶があるからです。
いつも通り3つあったはずなのに、1つを完全に見落としていたようでした。
目に入らなかったの?もしかして、認知機能の低下?
内心焦ってドキドキしましたが、夫曰く「よくあること」。
今までも時々鍋を入れ忘れていることを指摘されました。
これと逆のパターンもあって、
夫が「○○どこだっけ?」と探し物をするとき
既に夫が探した場所で「ここにあるよ~」と私が見つけることもあります。
また、外を歩いていて、お互い見ているものが違ったり、
飲食店で他のテーブルでの会話につい反応したのに、もう片方は全く聞いてなかったり、
「(相手は気づいたのにこちらは)全然気づかなかった!」ということがお互いにあります。
本当に、同じ場にいるのに、私たち2人が「感知している」ことは全く違うのです。
このことを実感する度に、2人して「とても興味深いなぁ」と笑います。
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私たちはよく「感じる」という言葉を使いますが
日本語の「感じる」という言葉の意味には幅があって、辞書を引くと
1 外からの刺激のために、感覚器官にある感覚を起こす
2 心の中にある種の気持ちを持つ。
3 心を動かされる。感動する。
といった意味が並んでいます。
アトラクション・プリンシプルの「#18.自分自身を敏感にする / Sensitize Yourself」は
上の意味を充てるなら「1 外からの刺激のために、感覚器官にある感覚を起こす」。
五感を使って「感知する」ということです。
人は感覚器官を使って外界のものを「感知」します。
それに対して「心の中にある種の気持ちを持ったり」、
「心を動かされたり感動したりする」(feel)ことが順番に起こります。
「感じ(感知し)」なければ、「感じる」ことはできません。
たとえ「感じ(感知し)」たとしても、それを「認識/意識」しなければ
私が鍋を見落としたように「感じたこと」にはなりません。
「感知して」「意識を向ける」ことが重要なのだと思います。
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私が「感じて」いたかもしれないのに「意識」しないときは大抵、
頭の中で何か別のことを考えています。
気づくと思考に向かっているのはある面強みと言えるのでしょうが、
それで「感知する」ことがなおざりになるのはもったいないなぁと思います。
「自分自身を敏感にする」というと
私はある研修会に参加したときのことをいつも思い出します。
参加者とだけコミュニケーションをする数日を過ごした後、
ものすごく感覚が研ぎ澄まされて
散歩に出かけた先で見た湖面のきらめき、新芽の鮮やかさ、
自然の生命力、エネルギーが自分の中にわっと入ってきた感覚。
その感覚を思い出して、自分の身体は本当はもっともっと感じられるのだ、
ということを思い起こします。
あなたは普段、どれくらい「感知」していますか?
それではまた!
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